2007年7月1日号
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堕胎、そして 父と母の死
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主人はある大きな調理士会に所属していたのであるが、
そこの偉い人たちの集まる場面にも、姑は自分から先に立って出ていった。
親が出て行くような場所ではない。
それは主人が社会人になった時から続いていたという。
息子が何かをするたびに出て行っては、
尻拭いをして歩いていたのだと、あとで会の方から聞かされた。
息子が責任の取れない人間に育ったのは、
「あの母親のせいだ」と仲間内では言われていたらしい。
こんなことが姑の耳に入ったら大変なことになる。
私は主人にも姑にも決して知られまいと口を噤んだ。
そんな生活の中で私は長女、長男に続いて三人目の子をお腹に宿していた。
きっと喜んでくれると思い姑に報告すると、
帰ってきた言葉は驚くようなものであった。
「産むなら私は出て行く。これ以上増えたら殺される」
子供は常に私がみている。
家事も一切、私がこなし大姑の食事などもすべて私の仕事である。
姑に負担を掛けるようなことは殆どないと思っていたので、
脅迫に近い言葉を浴びせられ私は面くらい、一瞬意味を解せなかった。
結局、姑を説得できず私は堕胎をすることになる。
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◆ 父と母の死
私の両親は、姑に気兼ねして滅多に電話をしてくることもなかったが、
孫可愛さに時折、野菜などと一緒に洋服を買って送ってくれたが、
姑はそれを喜んでくれたことが一度もなかった。
箱に入っているものを一瞥もしない。
ましてやお礼の電話などするはずもない。
次男の嫁の実家には、何かにつけて電話を入れていたのを見ていた私には
ナゼ私の実家を受け入れてもらえないのかと、
悲しい思いをいつも感じていた。
堕胎して一月後、珍しく実家の母から電話があった。
乳がんで入院すると言う。
言葉の締めくくりに「お母さんやおばあちゃんによろしく言ってね」と言ったので、
それを姑に伝えると「宜しくは食えないよ。今時、乳がんで死ぬ人なんかいない」。
その言葉に私は憎しみとか怒よりも
(この人は人間の血が通っているのだろうか)と唖然としてしまった。
姑の顔が鬼に見えた瞬間である。
実母は四年の闘病生活の後、この世を去った。
私が30歳の時である。
最後の危篤の連絡が入った時、
実家に帰らせてほしいと姑にお願いしたときに
言われた言葉ほどショックを受けたことはない。
「アンタ、帰して貰えるのが当たり前だと思っいてるの?」
親が後4,5日の命だと言われている時である。
当然だと思っていた。
予想外の返事に私は言葉を失った。
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実母の死後、
一周忌だけは行かせて貰ったが、その後の年忌には出させてもらえず、
一人暮らしの父親のことを気に病みながらも月日は流れ、
その間に大姑が亡くなり、
私も仕事を持つようになった頃、
父の入院の知らせが入りやっと実家を訪れることが出来た。
母親の死後、既に12年が経過していた。
その年、父は入院先の病院の階段から転落しあっけなく亡くなってしまった。
死に目には会えなかった。
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父は私に多少の財産を残してくれていたのだが、
その頃から主人は病気を理由に働かなくなり、
お酒とパチンコで作った借金がかなりの負担として振りかかってきていた。
父の残してくれたお金が消えるのは早かった。
主人は普段は優しい人であったが、
お酒が入ると人が変わるアルコール中毒で家族に暴力を振るうことがよくあった。
しかし姑にそれが向かうことがなかった為、姑はそれを認めていない。
一緒に住んでいて何故判らないのかと不思議なのだが、
自分の子がそんな人間だとは思いたくないのだろうと思う。
子供は厳しく後ろ指指されない様に育ててきた、
そして、それが間違いではなかったと思っている姑に
わざわざ「それは違う」と言うこともない。私はそう思っていた。
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