2007年7月8日号
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家を失い、そして 一家離散
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女一人の稼ぎなど微々たるモノで家計はどんどん逼迫し、
家の買い替えで出来たローンも無理して払い続けた私であったが、
主人がそのお金すらも使い込んでしまったり、
子供の成人のときのお祝いに背広でも買ってやりたいと
コツコツ積み立てておいたお金も知らないうちに下ろされていたりで、
姑には「あんたの管理が悪い。第一、子供に背広なんか必要なのか?」と言われ、
それまで(私がこの家を守らないと。私がしっかり頑張らないと)
と思っていた気持ちの糸が「プチン」と切れた音をとうとう私は聞いてしまった。
私は学費と生活費以外のものを支払うのを止めた。
元々家は姑と主人の名義で買っており、
姑からは「この家はアンタのものじゃない」と言われ続けていた私である。
主人が働かなくなって10年・・・
自分の給料もボーナスも自分のために使うことなく払い続け、
勝手に主人がオーダーした家の修繕費も月々返済してきた私であったが、
もう糸を繋ぐことは出来なかった。
姑は私の顔を見るたびに「アレは払ったか、コレは払ったか」と攻め続けた。
「私一人の力じゃ無理。」と言うと、「お父さんの遺産があるはずだ」と言われる。
「もう無い」と応えると、「アンタはお金の使い方が下手だから」とくる。
結婚して27年、私は疲れきっていた。
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◆ 家を失う・・・
私がローンを払わなくなって一年後、主人と姑は家の売却に踏み切った。
私の心は決まっていた。必死で守ろうと頑張ってきた家庭ではあったが、
もうその気力は無くなっていた。
姑がよく「生まれ故郷に帰ってお墓のお守りをして暮らしたい」と言っていたことも、
わたしの決心をより一層深める要因となった。
不景気にもかかわらず家はすぐ買い手がついた。
手続き等は全て姑と主人が行い、私は一切関わらなかった。
別居前、姑は「いくら帰りたい田舎でもこの歳で一人は不安だと珍しく弱音を吐いた。」
「だったら私たちと一緒にこっちで暮らせば?」と薦めてみたが、
ウンとは言わなかった。
結局、主人が姑と田舎へ移り住み、
私たちはそれぞれの職場に都合のいい家を見つけ、こちらにとどまる事となった。
売却したお金は、全て姑の口座に振り込まれ、
私たちは引越し費用すら出してもらえず、
ハダカ同然、追い出されるようなカタチで、家を出た。
結婚してからの28年間、私には自由と言うものが無かった。
姑は友達も無く近所付き合いもあまりしない人だったので、殆ど家にいる。
その為か、嫁である私も家で家事、育児をし、家庭を守っているべきだとの考えを持っていた。
出かけるときは、「誰と何処へ何をしにいくのか、何時に帰るのか」と必ず聞かれ、
それが友人との遊びであったりすると機嫌を悪くした。
ひどいときには夕方四時半に帰って、
「こんな時間までアンタ何やってるの!」と怒鳴られた事もある。
家を失うという大きな犠牲の代償に、私は束縛の無い自由という宝を手にいれたのだった。
自由とは「こんなにも心を楽にするものなのか」と心底開放感を味わった。
もう大声で終始怒鳴っている人はいない。
静かな生活が始まっていた。
子供たちも精神的にラクになったらしく笑顔が多くみられるようになっていった。
一方、田舎で生活を始めた主人と姑のほうは、かなり悲惨なものとなっていたようだ・・
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