2007年7月15日号
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別居が家族を再生させる!?
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姑は私や孫たちに捨てられたような感覚を持ち、
また、自分で決めたこととはいえ“家”を失い、
80歳にして何故こんな苦しみを背負わなければならないのかと、
精神的苦痛から床についてしまい3ヶ月くらい誰とも会おうとしなかった。
「田舎に行ったら毎日出歩くんだ。」と嬉しそうにしていたのにもかかわらずである。
喜んで迎えてくれると思っていた親戚が、
それほどでもなかったこともショックを与えた要因である。
一緒にいる主人は、愚痴ばかり聞かされるのが嫌で、
家にいることを避け朝早くから夜遅くまで海辺でうずくまっていたという。
自分の侵した罪の深さに対する自責の念から、とことん涙を流したらしい。
悔やんでも取り返しのつかない現実に、
もう私や子供たちに受け入れてもらえる日はこないのではないかと
不安と寂しさでいっぱいだったと後に手紙をよこしている。
私は、月に2度位の割合で姑に電話をするようにしていた。
いつも気にかけている。
これからも家族だと言葉にはしなかったけれど、解って貰いたかった。
姑はコチラにいたときとは別人のように弱々しい声を出していた。
しかし嬉しそうでもあった。
そして、必ず最後に「あんたも体に気をつけてね」と言ってくれた。
一緒にいたときによく言われた「アンタ」ではない。
優しい角の無い「あんた」であった。
これからでも姑との仲は修復できる。
私はそう感じていた・・・・
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◆ 運命の出逢い
そんな中、私はある人物と出会うこととなる。
心理分析士の長谷川氏である。
もともとは娘のカウンセリングで知り合ったのであるが、
長谷川氏の講座を受ける機会を得、
学んでいくうちに我が家の家族の問題解決の必要性に心が向き始めていた。
主人を駄目人間にし、姑を悲しませ、家族をバラバラにしたのは
「この私なのだ」と罪悪感を持っていた私は、
自分のやってきたこと全てが間違った方法であると、
否定されるような気がしてはじめは、相談することを拒んでいた。
家族を守りたい一心で頑張ってきた。
やり方は不器用だったかもしれないが、私にはこうするより道は無かった。
それを否定されてしまったら・・・・
私はなんの為に自分を犠牲にして28年間も苦しんできたのか判らない。
あまりの辛さに人々の記憶からも、子供たちの記憶からも消えてしまいたいと何度も思った。
最初から”私“と言う人間など存在していない事にしてしまいたかった。
自殺ではなく、ただ消えたかった。
が、私はここに居る。
このまま終わらせるわけにはいかないという想いが私に電話を握らせた。
姑のことはともかく、とりあえず主人のことから氏には話した。
果たして氏は、私を責めも否定もしなかった。
じっと話を聞いた後。
私たち夫婦の心の中の見えない部分を優しくゆったりと分析してくれた。
そして、私はその中で、自分が姑と同じ事をしてきたことに気付くのである。
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結婚する前は、姑が主人の尻拭いをし、結婚してからは嫁である私が対処してきた。
例えば借金。
作るのは主人、払うのは姑と私。
これでは、責任を取るべき主人の人生を、私と姑が代わりに生きたことになる。
主人のやったことは「自分で形を付けなさい」と手を出すべきではなかったのだ。
それをせずに何とかしなければと、
二人で尻拭いをしてきた為に、主人は工面する苦労を味わうことなく
また、同じ過ちを犯すという悪循環をおこすのである。
「借金はあなたの問題です」と突っぱねることをしていたら、
事態は変わっていたことだろう。
そして、私自身も自己犠牲を止め、
もっと「自分の人生」ということに気付いていたら、違った道が見えてきただろう。
元来主人は気の小さい臆病な人である。
自分を守るために嘘に嘘を重ね遂には行き場をなくし、
家族の苦しみを感じながら、自分も苦しみ続けていたのだと思う。
早く楽にしてあげるべきであった。
主人も姑も、そして私も・・・
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